138 研究領域の現状
柳 井 毅(准教授) (2007 年 1 月 1 日着任)
A -1).専門領域:量子化学,理論化学,計算化学
A -2).研究課題:
a). 密度行列繰り込み群に基づく多参照電子状態理論の開発 b).光合成系 II 酸素発生中心への応用
A -3).研究活動の概略と主な成果
a). 当研究グループでは,「電子と電子との複雑な多体相互作用の複雑な量子効果」を根源とする化学現象や化学反応をター ゲットに,その高精度な分子モデリングを可能とするような量子化学的な手法開発を目指している。特に着目するのは, 多重化学結合と解離,ナノグラフェン,有機磁性体,生体反応中心などの共役分子の光化学・スピン物性,金属化合 物の擬縮重電子状態などに表れる「複雑な電子状態」であり,その解明は大変興味が持たれている一方で,理論的な 取り扱いはチャレンジングな問題(多参照問題)である。多参照電子状態を正しく記述するためのキーとなる物理は, 原子間スケールで擬縮退した電子状態に由来する強い電子相関効果であり,この相関効果の問題の複雑さは分子サイ ズに対して指数関数的に複雑化し,既存の量子化学計算法ではこの現象を効率よく高精度で計算することができない。 これまで,当研究室では,このような距離スケールな強い複雑な電子相関を記述するための厳密対角化法,ab. i nitio 密 度行列繰り込み群(D M R G)法の新しい実装を開発してきた。また,この手法を利用した,多配置 C A S S C F 波動関数 で記述するための手法開発(D M R G -SC F )を行い,これまで絶対取扱不可能だと思われたサイズの大規模な C A SSC F 計算を実現した。本研究では,密度行列繰り込み群を出発して動的電子相関を二次の摂動論から効率よく見積もる DMR G-C A SPT 2(C omplete-A ctive-Space. Second-order. Perturbation. T heory)法を開発した。C A SPT 2 法は,オリジナル には R oos らによって開発されてきたが,従来法では適用可能な活性化軌道のサイズに限界があったが,本手法はその 適用サイズを飛躍的に広げた。D M R G - C A S PT 2 法を用いて,C r2の解離ポテンシャルの計算に応用し,高精度に実験 から見積もられたポンテシャル曲線を再現した。
b).光合成系 II 酸素発生中心における水分解反応は K ok サイクルと呼ばれる光照射に合わせた反応サイクル「S0 → S1 → S2 → S3 → S4 (→ S0)」に沿って起こるとされており,反応中心の Mn4C a クラスターは各ステップで Mn 酸化数を変化さ
せ,最終的に水を分解するのに必要な電位を蓄えると予測される。ゆえに各ステップにおける M n イオンの酸化状態の 同定は反応機構を推測する上で重要な要素であり,X A NE S,X E S や E PR ,E NDOR などの分光実験と他の実験事実と の相補的解析により様々な考察がなされてきたが,複数の同種金属が存在する事によりスペクトルが複雑になりその同 定には曖昧さが残る。よって多配置理論を用いた量子化学計算により任意の構造における M n イオンの個々の酸化状 態の決定を行う。また,2011年に光合成系 I I のX線結晶解析が 1.9. Åの高分解能で達成されたことにより,酸素発生 中心における水分解反応機構の解明は急速な進展を見せている。しかし,X線回折により得られた構造(X R D 構造) は E X A F S から予測された構造とは結合長など大きく異なる部分があり,密度汎関数理論から予測された構造(QM / M M 構造)が後者を支持した事や,以前から M n4C a クラスターのX線回折測定ではX線照射ダメージにより M n が2 価へと還元され構造歪みを伴う可能性が指摘されていたことから,その構造の妥当性は未だ議論となっている。以上 の背景から,本研究ではマンガンの3d 軌道と架橋酸素の 2p 軌道の計 35 軌道からなる活性軌道空間内の多配置効果 を考慮した D M R G - C A S S C F 法により M n4C a クラスターの高精度な波動関数を計算し個々の M n の酸化状態の解析を
研究領域の現状 139 行った。また分光実験により同定され,現時点で正しいとされる S1 中間状態の酸化状態(Mn2
III
. Mn3
IV
. Mn4
IV
. Mn5
III
) を再現するか否かを指標とした構造の妥当性の検討を行った。解析の結果,QM /M M 構造における基底状態は妥当な 酸化状態(Mn2
III
. Mn3
IV
. Mn4
IV
. Mn5
III
)を再現したのに対し,X R D 構造においては O9,10 から Mn4,5 への電荷移動状 態(Mn2
III
.Mn3
IV
.Mn4
III
.Mn5
II
)が基底状態となった。励起状態計算をあわせて行った結果,この電荷移動状態は QM/ M M 構造において基底状態より約 30. kcal /mol 高いエネルギーを持つ励起状態として存在することが確認され,参照と なる(Mn2
III
.Mn3
IV
.Mn4
IV
.Mn5
III
)とは明らかに異なる電子状態である事が示された。
B -1). 学術論文
T. YANAI and T. SHIOZAKI, “Canonical Transcorrelated Theory with Projected Slater-Type Geminals,” J. Chem. Phys. 136, 084107 (9 pages) (2012).
T. YANAI, Y. KURASHIGE, E. NEUSCAMMAN and G. K.-L. CHAN, “Extended Implementation of Canonical Transformation Theory: Parallelization and a New Level-Shifted Condition,” Phys. Chem. Chem. Phys. 14, 7809–7820 (2012). W. MIZUKAMI, Y. KURASHIGE and T. YANAI, “More π Electrons Make a Difference: Emergence of Many Radicals on Graphene Nanoribbons Studied by Ab Initio DMRG Theory,” J. Chem. Theory Comput. 9, 401–407 (2012).
B -4). 招待講演
T. YANAI, “Density Matrix Renormalization Group and Associated Dynamic Correlation Methods: Theory and Applications,” The XIVth International Congress of Quantum Chemistry, Boulder (U.S.A.), June 2012.
柳井 毅 ,.「密度行列繰り込み群法を用いた量子化学計算」,. 研究室セミナー ,.日本原子力研究開発機構町田研究室 ,.2012 年 1月.
B -6). 受賞,表彰
T. YANAI, Chemical Physics Letters Most Cited Paper 2003-2007 Award.
T. YANAI, The Wiley-International Journal of Quantum Chemistry Young Investigator Award (The 49th Sanibel Symposium) (2009).
B -7). 学会および社会的活動 その他
「次世代ナノ統合シミュレーションソフトウェアの研究開発」 理論・計算分子科学コミュニティWGメンバー.(2007–2012). HPC I 戦略プログラム 分野2「新物質・エネルギー創成」コミュニティメンバー.(2010–.).
B -8). 大学での講義,客員
総合研究大学院大学物理科学研究科 ,.「機能分子基礎理論」,.2012 年 7月 23日–25日.
B -10).競争的資金
科研費特定領域研究(公募研究)「実在系の分子理論」,. ,.柳井 毅.(2008年度 –2010 年度 ).
140 研究領域の現状
科学技術振興機構 C R E S T 研究 ,.「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」,. 柳井 毅 ,. 研究分担. (2008年度 –2009年度 ).
科研費基盤研究 ( C ) ,.「高精度多参照理論による大規模π 共役系の強相関的な多電子励起状態の解析法と応用」,. 柳井 毅. (2009年度 –2011年度 ).
C ). 研究活動の課題と展望
当該研究活動で当面課題とする問題は,多参照な電子状態(電子が強く相関する状態)であり,理論的な取り扱いはチャレン ジングな問題(多参照問題)である。問題の複雑さは,問題のサイズ(分子サイズ)に対して指数関数的に複雑化するので, この問題を解くのはなかなか容易ではない。当研究グループが開発を進める「密度行列繰り込み群(DMR G)」「DMR G- 正準 変換理論」「DMR G-C A SPT 2」は,いままでにない大規模でプレディクティブな多参照量子化学計算であることを実証してき た。本手法の威力を発揮して,未知なる電子状態を解明する理論計算を推し進める。